ラマダンはタマラン!

今月末もまたまたジャカルタへ行きます。アジアのいろんな国へ行ってみましたが、はじめて腰を落ち着けて仕事をしてみようと思ってます。そこで、何かひとつくらいインドネシアを肌で感じてみなくちゃ… インドネシアはイスラームの国、イスラームかあ、お祈りは作法があって時間もかかるしなあ。そうだ、ラマダンだあ! ダイエットにもなるし、おなかの中もきれいになりそうだし…なあんて軽い気持ち。フレディ・マーキュリーもイスラームだし… わけのわからない理由もくっついたりして…

 

断食です。ラマダンの月に入ると、インドネシアのイスラームの人々は、陽が昇ってから沈むまで、食べ物だけでなく飲み物も口にしない日々がひと月続きます。これは、いわゆる先進国のコンビーニエントな生活に慣らされて堕落した身には無理。よし、火曜日だけやってみよう!なぜ火曜日なのかはわかりませんが… アッラーの神のお告げですかね。

 

インドネシアという国は、中国、インド、アメリカ合衆国に次いで、現在世界第4番目の人口(約2億5000万人)を擁する国で、そのほとんどがイスラームの人々なので、世界最大のイスラーム国ということになります。が、とってもゆる~いイスラームなのです。イスラームの教えはいろいろありますが、それぞれの人が、「これは守ろう、これはいいや」というふうに、いわゆる戒律が必ずしも厳格に守られているわけではないようです。僕はイスラームに入信するわけではない、インドネシアを知りたいだけだ、と生来のいい加減さがインドネシアのゆるさに後押しされて、火曜日だけやってみることになったというわけです。なが~い言い訳になりましたが…

 

そして、姑息にも誰にも言わずに(「あれっ、ラマダンなんじゃないの」なんて言われようものなら、それが理由で、せっかくの実験が中断されるじゃないですか)、1ヶ月前の火曜日から始めた、はずだったのですが、やっぱ無理。まず、飲まないというのが不可能。これはあっさり放棄。飲まないのは、もうちょっと慣れてからにしよ。それでまず、食べないということに集中してやってみた。が、結局これもダメ。何がダメかって、忘れるんです。ついつい、無意識に食べてるんです。忘れたというのではなく、無意識にという感覚です。それだけ身の回りに、食べ物が氾濫しているということでしょうか…あるいは、僕の生活習慣(そうあの「間食」というやつです!)がそうとう堕落しているということでしょうか。

 

というわけで、前途多難の様相を呈しながら、というよりほとんど沈没しながら船出したわけですが、とりあえず、火曜日はほとんど食べないのです。一日くらい何てことないや、と始めたわけですが、これがたいへんなのです。腹が減って一日が長いこともさることながら、生活のリズムが狂って、文字通りリズムが狂って、いろんなことがうまくいきません。あ~あ、たまらん!これも、「もののあはれ」でしょうか…

 

教訓。ほかの国のことを理解することは、とっても難しい。そうたいしたことに見えない違いも、実際には大きな違いです。頭で考えたことはあてにならない。身を以てやってみないとわからない。こういう大変な目に合ってようやく、人間は考え始めます。何でラマダンなんだ? う~ん、きっとほかの生命に対する感謝なんだろう、生命だけじゃないな、水もだもんな、そうか、我々人間に対して一方的に恩恵を提供してくれている、この地球に対する感謝、報恩を忘れるな、ということかな… ほんとにそういうことかどうかは、わかりませんが、いろんなことを考えます。おっ、そうすると、イスラームは儒教より道教やら神道に近いかな。なんて、とめどなく感懐が広がります。

 

でもやっぱり日本がいいや。食事の前には必ず「いただきます」と言って、作ってくれた人と、生命をいただくお米とお肉やお魚や野菜たちに感謝してるし… だけど、週一の断食は、しばらく続けてみよう。