もののあわれ

 「もののあわれ」って、学校的にいうと「しみじみとした趣き」と訳せば合格です。しかし、これはそんなに簡単に片付けていいことではありません。私たちは世界的な大変革の時代を迎えました。日本人は今「もののあわれ」という大和心に真剣に向き合わなければならないようです。

 社会の大きな変化でいうと、社会が多様化し流動化しているということを強く感じます。人種や宗教、性別などあらゆるものに対する考え方や感じ方が多様でしかも刻々と変化し進化し続けます。そんな世界と付き合うには、まずは足下を見つめることです。日本という国がどういう国かということを理解して海外と付き合うことが大事です。「もののあわれ」はこの国の心です。「もののあわれ」を探究することで、この国の姿はかなり深く理解することができるでしょう。

 さらに「もののあわれ」は、世界を救うものの見方考え方を内包しているのではないかと考えたりしています。まず神道をはじめとした諸々の自然を尊ぶ態度は、欧米やイスラムの一神教の考え方とは全然違っています。一神教の考え方は自己と他者の違いをはっきりさせて対立を基礎に置きます。「もののあわれ」はこれと違って、根本的に他者を包み込む資質を持っているようです。単に対立しないということとは少し違って、他者を自分の中に取り込んでしまうという感覚です。

 この態度が「ヒトと自然」との関係に強く表れています。西洋は自然を克服したり征服するという意識が強いように思います。残念ながら、今の日本もいつからかそんな考え方に傾いていますね。本来の日本は自然と共生するという意識だったはずです。それゆえあちこちの森や大木や岩に神々が宿っているのです。それらを祀るのはまずは感謝の気持ちです。ヒトも自然の一部であり、自然から人間が生活に必要なもののほとんどをもらっている。さらに我々人間が、自然に対して一番迷惑をかけている存在であるという意識の表れなのだと思います。

日本の伝統的な宗教といわれる神道は、宗教というよりも古来の生活様式だとか習俗といった方が当たっていると思います。その神道は、聖徳太子の知恵にはじまる日本人の知恵によって、見事に仏教のとくに大乗仏教の考え方を飲み込んできました。自分の中に宇宙に存在するものの本質が存在するという感じ方が2000年以上も前からあったとは驚きです。それらが融合してみごとに結晶したものが「もののあわれ」です。自然と競うのではなく、自然に身をゆだねて生きるのが人間だということですかね、とどのつまりは…

文章 杉岡 茂