僕S I N G(1)

1年間の休止期間を経て、ボクシングを再開しました。リングがあるわけでもなく、本格的なボクシング技術の習得やトレーニングをするわけでもありません。言ってみれば、ひたすら「サンドバック」というあいつを殴ったり蹴ったりするだけです。準備運動に、ストレッチや腕立て、スクワット、腹筋をしますが、あとはひたすらサンドバックと格闘です。

 

去年11月に亡くなった、僕の一番大切な二つ年下の友人S氏と、12年前に二人で始めたボクシングです。S氏の自宅の中庭にサンドバックを吊るしてやっていたものですから、彼の体調がすぐれなくなってから休止していたのです。彼が亡くなった後、幾人かの大切なボクシング仲間とどうしても再開したいと思っていたところへ、これまた僕の大切な友人U氏が、絶好の練習場を提供してくれて、1年後にやっと再開にこぎつけたのです。ボクシング一つをとっても、僕は大事な大事な人々に囲まれて自分の人生を過ごしているんだなあと、つくづく「もののあはれ」を感じます。

 

30歳を少し過ぎたころに、僕の先代が亡くなり、今の事務所を引き継いで悪戦苦闘していた僕は、それから5~6年が過ぎたある日、血圧が急上昇して倒れてしまいました。柄にもなく心身ともにオーバーワークのストレスだったのでしょう。同級生の医師二人に助けてもらって、安静にしているだけで回復はしましたが、なぜ倒れたかわからずじまいだったところへ、くだんのS氏が「体を鍛えなきゃいけません。私が週に一回付き合いますから…」と言って、自宅にサンドバックを吊るしてくれたのです。20代まではラグビーや空手など何やかやで体を動かしていた僕ですが、30代の約10年間完全に体をほったらかしていたことを、彼は心配してくれたのです。

 

週に一回とはいっても、毎週毎週付き合ってくれるというのは、大変なことです。彼はいくつか会社を経営している身であり、また、家庭では幼い子供さんたちの父親として、決して暇な身ではありません。毎週毎週僕のために時間を費やしてくれるのは容易なことではなかったはずです。10年以上の長い間、彼は毎週毎週自宅で待っていてくれたのです。にもかかわらず、僕は自分の仕事の都合でドタキャンすることがたびたびで、それを彼は顔色一つ変えずに許してくれた、他の日でもいいから連絡下さいと言ってくれた。今だから言いますが、冬の寒い日や夏の暑い日などは、ズル休みのドタキャンも10年間のうちには数々ありました。ほんとに罪深い男だねえ!ゴメン!きっと、僕の嘘も彼はわかってたと思います。それでも、毎週毎週僕のために、自宅で待っててくれたのです。そのことを考えると涙が出ます。

 

そんな彼と僕とのボクシング、10年間の間に、思えばいろんな人が出入りしました。体に自信のある人が来てみたり、心を病んだ人が来てみたり、たくさんの人を迎え、そして、たくさんの人が去っていきました。だけど、彼は僕一人のために時間を費やしてくれたのです。僕が休みとなれば、トレーニングは休みになるのですから…

 

毎週メンバーが集まるまでの間、S氏の自宅のリビングでいろんな話をし、練習後にはまた、リビングで冷たいお茶をいただきながら、話をして帰るのが常でした。世界情勢の話をしたり、色恋の話をしたり、日本の行く末を案じてみたり、自分の夢を語ったり、それはそれは楽しい時間でした。そして、あんな濃密な時間は他にはめったにないと思います。きっと、参加した人たちも、この時間を楽しみに集まって来られたのではないかと思います。トレーニングもさることながら、みんなこのリビングでの彼との時間を大切に思っていたと思います。

つづく