失敗の本質

 太平洋戦争の敗戦後「失敗の本質」という名著が生まれました。なぜ日本は負けたのだろうか、ということを一所懸命に考えた人がいました。負けた原因とかうまくいかなかった原因を考え直してみることは、とても大事なことだと思います。今という時代においてはとくに、失敗にこそ価値があると言ってもいいでしょう。成功者の話を聞くよりも失敗した人こそ語る資格ありだと思いますがどうでしょう。最近は「しくじり先生」なんていう番組もはやっているようですね。

 太平洋戦争の敗戦にはいろんな要因があるでしょう。一つに決めることはできないと思いますが、思い当たることを一つ紹介しましょう。ペリー来航から日本の国の大騒動が始まります。1850年ころに幕末という名の内乱つまり国内の戦争が始まって、これが1870年ころまで続きます。この国内騒動は実質的には国内の戦争なのですが、武器は何と刀と粗末な大砲です。ペリーの蒸気船に比べて幕府の船は帆船ですよ、帆船! 関取を海岸に並べたという話まで残っています。

1853     ペリー来航

1868         明治維新

1894〜95    日清戦争

1904〜05    日露戦争

1921     中国共産党創立

1932     満州国建国

1937     日中戦争

1941~45   太平洋戦争

 しかし、黒船に恐れおののいた日本は、外国に侵略されることを避けるために明治維新という革命を自力でやり遂げます。そしてそれから30年も経たぬうちに、日清戦争においてアジア最強の北洋艦隊を擁する清を撃破します。さらにその10年後には世界最強のバルチック艦隊を擁するロシアに完勝します。その後日本は世界の一等国の地位に一気にのぼり詰めていくのです。日露戦争までは、幕末から維新の国内戦争の実戦で命をやり取りした軍人が戦争を遂行したのです。命のやりとりを実際にした人の迫力はやっぱり違いますよね。

 しかし、1930年代に暴走を始めた日本軍には、幕末の実戦を経験したものは少なくなっており、学校秀才がその幹部を占めることになりました。日清日露の連戦連勝や経済発展の慢心もあったでしょう。学校秀才はその優秀な頭で戦争をしたのでしょうが、実践で鍛えられてない軍人が実際の戦争に勝てるかどうか…手痛い敗戦によりどん底を味わいます。古典は「理屈より経験」ということを昔から繰り返し言っていますが、いまどきの世界はやたら理屈を重じていてちょっと危険な気がしますね。

 太平洋戦争に負けたこの国はその後、世界中の度肝を抜くような経済復興をとげてJapan as No1と言われ、自分たちもそう思ってしまいます。昭和の初期と同じような状況がまた訪れて、同じ理由で日本は没落したように見えます。もうこんな失敗はしたくありませんねえ。

文章 杉岡 茂