ブログ、サボってしまいました。言い訳になりますが、6月は、台湾とインドネシアに行ってまして、ちょっとだけ忙しかったのです。ジャカルタで仕事をしてみたいと思うようになったのが今年に入ってからですが、月に一度はジャカルタへ行かねば、と思っております。

 

僕の場合はアジア限定ではありますが、いろんな国へ行ってる内に、ふと湧いて来るのが、「日本人ってどういう国民なんだろう?」という、疑問でもないような疑問です。そして、次に「国ってなんだろう?」という、これはもう自分の手には負えない哲学的な問いです。二番目の問いはさておき、最初の問いは、海外で外国の人と話をする時、特に一緒に仕事をしようとする場合には、必ず何らかの答えを用意しておかねばならないもののようです。一緒に仕事をするときには、お互いに理解することを要しますが、理解は、自分と相手の違いを知ることから始まるようです。まず、自分の国を知ってることです。そして、相手の国あるいはその国の人を理解することです。これがないと、その国でその国の人を相手とするビジネスがうまくいくはずがないでしょう。海外ビジネスで失敗する人は、このことに対する認識不足あるいは誤認識が多いのだと思います。

 

このたび、ジャカルタで20年以上暮らしている日本人の方のお話を聞く機会がありましたが、その方がいろんなお話の最後にされたのは、「やっぱり、よその国から来て仕事をさせていただくのだから、軒先をお借りしますというくらいの謙虚な気持ちがないとダメです」という意味のことをおっしゃったのは、特に印象的でした。わかってたはずなのですが、ここへきて印象に残ったということは、頭がわかってただけで、身に覚えがなかったのでしょうね。

 

さて、日本の心は何か、大和心とは何か、ということですが、やはり「もののあはれ」ですかね。この「あはれ」というのは、今の時代に「あわれだ」というと「かわいそう」という意味に思われることが多いのでしょうが、もともとは間投詞で「あ~あ」という感覚を表す言葉です。心が動いたときに、思わず口をついて出てくるあの言葉です。いわゆる感動した時も、あきらめる時も、よーし頑張るぞという時も、この言葉を使ったのです。

 

日本という国は、世界的に自然災害の多い国です。台風や地震や干ばつやその他の天災が、この国のどこかでしょっちゅう起こっています。つまり、人間の努力や工夫が一瞬にして吹っ飛んでしまうことがしょっちゅうです。そのたびに、僕たちは「あ~あ」と言って、受け流してきたのです。これは、いわゆる諦念ということではなく、受容ということに近いと思います。いたずらをした神様を、悪事をはたらいた他人を許すことと同じように、赦すことであったといえるかもしれません。日本人は、古来「悟る」ことが上手だったのかもしれません。

 

この受け入れて赦すことを一言でいうと、「恕」ということになるのだと思います。外交が弱いと言われることも、外国の文化や文明をまねることが上手なことも、国内にたいへんなことが起こったときに大騒ぎしないことも、この「恕」が日本人の心に植え付けられているからかもしれません。きっと、有史以来王朝が変わらずに今までを過ごしてきていることも、このためなのでしょうね。

 

皆さん、ちょっとくらいブログさぼっても、「あ~あ」と言って「恕」してくださいね!そういえば、和田アキ子の「笑って許して」も大ヒットしたなあ。