日本の夜明け

新しい年がやって来ました。今年はこのブログをしっかり書こうと思っておりますが…

 

今のこの国の状況、いい方向へいくのやら、悪い方向へ行くのやらよくわかりませんが、一番心配なのは、この国の人々が何も考えてないことじゃないでしょうか。考えるというのは、自分の頭で考えるということです。人が書いたりしゃべったりしたことを覚えるということではありません。想像力が最も大事だと思います。そして、考えるというのは、解答を得るということではありません。今の教育は西洋の科学を基礎に置いた教育が中心で、とにかく正解を求めることを主眼にしております。かくいう私も、そういう教育の中に長いこと身を置いて来たのですが、何となく正解を求めてしまうし、そのことの上手な人が価値ある人だと、まだまだどこかで考えているように思います。

 

人がこの世に生を受けて、この世を生きる上で、正解というものはないように思うのです。長い目で見たときには、今の正解は後で不正解になり、今の不正解は後の正解になることが、ほとんどです。まさにこの世は無常です。このことを今の日本人は忘れてしまったのです。人がその人の人生を生きる上では、知性も感性も必要なのですが、知性に重きを置きすぎて、感性を置き去りにしてしまっているように思います。考えるとは、ついつい知性の問題のように思っているのですが、本来は感性の問題でしょう。

 

これからの日本に何が起こるのかは、今までと同じように私にはわかりませんが、とにかくその都度その都度考えることさえ忘れなければ、これからの世界はそれぞれの日本人にとって大きなチャンスだと思っています。激動の時代がやって来ます。日本を含むアジアの時代がやってくるのです。どんな世の中になるのかはわかりませんが、とにかく至る所で変化が起こります。この地球上でもっとも長く生き残っている生物は、知能の優れた生物でもないし、腕力の強い生物でもありません。変化に対応できる生物です。日本という国は、神の力ということもあるかもしれませんが、変化に対応する知恵を出すことが上手な国だったように思います。無常を身に付けた国民がその都度その都度それぞれの持ち場で、知恵を出して来たのです。

 

経済の上でとか、政治の上でとかではなく、皆さんの身のまわりでいろんな変化が起こります。いつも歴史は、その積み重ねです。他人事だと思わず、皆さんの身のまわりのことを、ささいな変化を歴史上の変化だと思うと、ちょっと楽しいかもしれませんよ。ロックに目覚めた大学生の長男が、この正月に鮮やかな緑色の髪で帰って来ましたが、これも歴史上の変化であり、日本の夜明けなのでしょうか。彼は、父親である私がボーカルをしているバンドの今年のライブに参加したいと思っているようです。どうする?