時本主義の足音

 「時間」って何なんでしょうね。時の流れとか「過去」とか「未来」とか言いますが、僕はそれを見たことがありません。頭の中で、そういったものがあると思っているだけのことです。「過去」は何らかのことがらを経験なり体験して記憶というものがあるので、それでもまだ存在していたのではないかと思えるのですが、「未来」となると言葉としてはあるのですが、実際にあるものやらないものやらまったくNo Ideaです。確かに言えることは、「今ここ」をしっかり生きることでしか、「過去」の後悔や「未来」の不安を追い払うことはできないかな、と思うことです。

 資本主義というのは、おカネで施設や設備を買って、それによって商品を産み出し、大量生産したもの大量に消費させ大量に廃棄させることで企業が利益を上げるしくみです。つまり、おカネが全ての世の中で、おカネのみに価値があるとする考え方です。この考え方が近時ちょっと変わりつつあるような気がします。おカネに価値があるのと同じように時間にも価値があると、ちょっとずつですが世間が思うようになったのではないかと思います。知らず知らずのうちに時間を交換したり、時間を担保に考えているような気がします。

 お金は1日24時間を平等に与えられているということが、お金と時間の違いでしょう。しかし、ここで時間価値という考え方が出てくると、そう単純ではなくなります。時間価値とは、投入した時間によって得られる便利や利益です。貨幣価値とはおカネを投入することで得られる便益というのと同じです。この時間価値には、「カタマリ時間」の価値に加えて「スキマ時間」があり、近時スマホの爆発的普及によって、「スキマ時間」が意識されるようになってきました。つまり、ちょっとした「空き時間」に仕事をしてお金を稼いだり、趣味を楽しんだり、友だちとのコミュニケーションをつないだりといろんなことができるようになりました。

 「スキマ時間」をどう使うのかが、人間にとってとても大事なことになりつつあったりします。ここで注意すべきは、「スキマ時間」でどうお金を儲けるかと考えることは、前時代の古い考え方だということです。たぶん、われわれは「お金を儲ける」ことではなく、「時間を儲ける」ことを考えるというような根本的な意識の転換をしないと豊かな人生を過ごすことはできないのではないかと感じる今日このごろ、還暦の春です。こんなおもしろい時代に生まれて生きて死ぬこと、幸せです。

文章 杉岡 茂

写真 伊丸 綾