SEKAI NO OWARI その後


前回SEKAI NO OWARIというバンドについて書いてから、しばらく時間が経ちました。今年1月に新しいアルバムが出たので、早速DVDもついてるヤツ買いました。やっぱええわあ!できればあのバンドに入りたい… 毎日のようにDVD見ながらそういう思いがつのります。親父バンドのボーカルやってる身として、というよりも、一人の人間として彼らの仲間になれたらいいなあという、一種「あこがれ」とか「ときめき」とかいうものを、年甲斐もなく感じています。

今回DVD見てあらためて、FUKASEがただ者ではない、彼はまちがいなく「ソクラテスの再来である」と思ったのですが、SAORIちゃんもありゃあただ者ではないね。絶対音感を持ったミュージシャンとしてもさることながら、人間としても自分をしっかり持ってますね。それよりも今回強く感じたのは、NAKAJINのすごさです。何の根拠もある訳ではありませんが、FUKASEとSAORI、そして、あのわが道を行くDJ LOVEをここまでうまくまとめているのは、NAKAJINだと思います。30歳手前でありながら、今までにいろいろあったであろう3人をまとめて、あんなすてきなバンドとして成り立たせているのは、並大抵の器でないとできないことでしょう。

世間では人間の器の大きさが言われます。しかし、器というものは、その大きさに意味があるのではなく中がカラであることに意味があるのだと思います。どんなに大きな器でも中がつまっていたら、それ以上何も入りませんよね。小さな器でもいつも中が空だと、次から次から何でも入ります。僕の目には、NAKAJINの器は常に限りなくカラッポのように見えます。だから、何でも受け入れることができるんでしょうね。精神を患ったFUKASEも夢破れたSAORIも布団を結婚相手に指名するDJ LOVEも、何事もなく受け入れて信じることができるのは、スゴい!