九星気学(2)

前回の続きです。

 

考えるに、好き嫌いというのは、人の意思を超えるものです。つまり、好き嫌いには、理由がありません。理屈ではなく、事実であり、自然現象であるからです。たとえば、好きな人を、自分の意思で嫌いになることはできませんし、なぜ好きなのか、そのすべてを説明することなんて、とっても不可能なことです。「優しいから」と答えたところで、それはすべてではありません。逆に、嫌いな人を意思の力で好きになることもできません。よく「その人のいいところを見つけ出しましょう」的なことを言う人がいますが、それにしてもやっぱり、嫌いであることを受け入れるところから始まるんじゃないでしょうか。僕は、鶏肉が嫌いなのですが、「なんで?」と聞かれるたびに困ってしまいます。理由なんてないんです。人と鶏を一緒にするな、と言ってるあなた。本当に違いますか?嫌いであるという感情が…

 

こういう経験は、みなさん日常的にしていることだと思いますが、本来自然現象であることに理屈や理由を求め、好き嫌いの感情をもつことを許されないかのような道徳や倫理という名のルールがあったりします。しかし、安心してください。嫌いな人、合わないなと思う人がいるときに、九星気学でその人との相性を見てみると、あーら不思議、やっぱり合わないのです。つまり、「気」が合わないのです。合わないのが自然なのです。そうなると、「気」って何だということになるのですが、まさにこれが人間の知性や思考や意思といったものを超えるものなんだと思います。昔の人は、この人智を超える何物かを「気」と言ったのでしょう。そして、日本では、「空気」とも言って来ました。KYの空気読めないも、この「空気」ですよね。

 

九星気学は、無理に、つまり人間の意思で好きにならなければならないとか、人を嫌うのはよくないことだとか考える必要はないと教えてくれているような気がします。さらに言えば、嫌いな人を嫌いだと思っていいんです。ただ、嫌いな人は嫌いな人として、受け入れればいいんです。そして、これは「愛」ということに通じるものだと思います。無理に好きになろうとすると、その人を受け入れることすらできなくなります。そして、それでも無理に好きになろうとして、それが無理だと分かった時には自分の存在を消さなくてはならなくなります。そんな不幸はありませんよね。もっと、ゆるく生きましょうよ。

 

余計なことですが、中国の古(いにしえ)には、易をはじめとするたくさんの「人類の知恵」があるのに、今の中国はなんでああなんですかねえ?

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