「休み」ってなんであるのでしょうね? 真面目に考えると、何が何だか分からなくなります。WorkとLifeが別々になった時から休みというものがあるんですかね。キリスト教?すでにユダヤ教でもそうですかねえ、一週間のうち一日はホリデイにしなくてはならないのは… もちろん、休みが必要ないというのではなく、必要ないことになればいいと思ってます。労働がイヤなことでなくなればいいのです。「労働」とは「働く人」を「労う(ねぎらう)」ことです。前にも書きましたが、ぼくはWorkとLifeが溶け合えばいいと思っています。それでも体を休める意味でOffの日は必要かもしれませんが。
世の中は、IT革命とかデジタル革命とかの真っ只中です。技術的なことばかりに目が行きがちですが、人の働き方と時間の使い方の大きな変化が今このときに起こっているのです。働くことの意味や意義を考え直す時期かもしれませんね。18世紀イギリスではじまった産業革命は、農業社会があざやかに工業社会へ移行させました。そして今、工業社会はIT革命によってどんな社会へ転身するのでしょうか。人が1日に4時間働いて今と同じ生活ができるような世の中になるといいなと期待しています。
諸外国はいざ知らずこの国においては、「はたらく」とは「傍(はた)」を「楽」にすることのようです。社会のためになるというより、「誰か」のためにつまり顔の見える「誰か」のためです。長い時間働くことに意味があるのではなく、「誰か」の役に立つことが重要なのです。短時間でも「誰か」の役に立てれば十分なのです。
若い人たちは自分の時間を取り戻すために、週休3日や週休4日を望んでいるのかもしれません。そしてその休みの間YouTubeで生活をたてることを考えているのかもしれません。時代の変化を敏感に感じ取って、時代の波に乗ろうとしているところに働き方の多様性が生まれているのかもしれませんね。自由に休みが取れて、若い人たちがデジタルを使って新しい時代を築くことを受け入れる、われわれおじさんはそんな若者のマインドの変化に手を貸す必要があるのでしょう。
「忙しい」という時は「心を亡くす」と書きます。人間が心を取り戻すためのデジタル革命だったらいいなあと強く期待しています。
文章 杉岡 茂