体 からだ

 このごろ毎朝体を動かしています。When I was young,夏休みのラジオ体操なんか面倒くさいだけで、何の苦もなくただ淡々といくつかの動きをこなすだけでした。今は、これってこういう動きのためだったんだとかいちいち確認しながら、結構苦痛を感じたり思い通りに動かない手足にとまどいながら、ていねいに体を動かしています。自分の体がいつの間にか最大の敵になってしまったことに対する怒りと悔悟とごめんなさい。首ひとつ回すにも、じっくり時間をかけて一回りさせます。毎朝「あ、ここがひっかかる」とか「今日はここがちょっと気になる」とか感じ取りながら、体操というより体のお手入れというんでしょうか。体が自分の思い通りに動くことは驚くべきことで、本当はそんな奇跡的なことに感謝しながら生活しなければいけなかったんですね。

 考えてみれば、60年間ずっと使い続けてきた道具なんか他にありません。学生時代から持っているコーヒー豆ポッドなんか40年くらいずっと使っているものもありますが、さすがに生まれたその時から使い続けているものなんてありませんよね。よくぞこれまで何の文句も言わずに、毎日毎日の酷使に耐えてくれたものです。感謝状も表彰式もなしに…

 魂を宿しているものを「身」といい、魂を宿してないものを「体」と言います。これを合わせて「身体」という言葉もありますね。その「体」ですが、魂が入っていない空の箱という意味の「空魂からたま」から転じたとか、「殻から」に勢いの「だ」がついて「からだ」になったとか言われています。「すぎおかしげる」を紹介する時は、この「体」を指でさします。いちばん「すぎおかしげる」を表しているのが体かもしれません。しかし、外見だけで人を判断しちゃいけませんとか言いますよね。内面、つまり魂とか精神とかいうものも「すぎおかしげる」です。魂や精神や神や仏については、またお話しする機会があると思います。

 この「体」ですが、にんべんに本と書きます。にんべんは人を表しますが、「本」という字は木の根っこに印をつけたもので、草木の根を表します。そこから根本とか基本という意味が出てきます。そしてさらに、お手本という意味が生まれ、お手本の書物つまりbookを表すようになりました。ありがたいことに、漢字にはそれぞれに意味があります。中国四千年の歴史はあなどれません。こういうことを伝えずに、書き取りや読み取りだけの練習をさせる日本の教育は、人類の尊い知恵がいっぱいつまっている文化や伝統の無駄使いをしているとしか見えません。人の本が体ということです。私たちは、この人の本に対してもっと関心を持ち、もっと大事にし敬意をはらうべきなんでしょうね。

文章:杉岡 茂

写真:伊丸 綾

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