結び


 十七条憲法は、聖徳太子の考案により成り、西暦604年5月6日推古天皇の御世に制定された日本最初の憲法と言われています。「一日、以和為貴、無忤為宗」の書き出しで始まります。読み下すと、「一に曰く(第一条)、和を以て貴しとなし、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。」って感じになります。現代語訳にすると「和を大切にして、他人といさかいをせぬように」くらいですかね。いずれにしても、日本で最初の憲法の冒頭は「和」で始まります。

 学者先生は、この憲法は聖徳太子が作ったものではなく、のちに作られたものだとか、のちに内容に変更を加えられたとか、いろんな観点で議論されますが、そんなことより大事なことは、今の世に「和を以て貴しとなし」が第一条だと伝わっていることです。文字を書くにも残すにも大変な苦労の必要な時代から、天災や戦乱の時を超えて1000年以上の時を経て、なぜ残っているのか。いつの世もどこの地でも、日本という国に住む人々が「和」を貴しとしてきた証しです。

 さて、日本と行く国はずっと文字のない国だったのですが、中国から漢字が伝わってきました。日本人が漢字に最初に接したのは1世紀で、漢字の読み書きができる人が出てきたのは6〜7世紀と言われています。十七条憲法はちょうどこの頃に書かれたものです。ひらがなができたのは何百年も後のことですから、この十七条憲法は全文漢字です。

 ということは、「和」は当て字の可能性もありますね。「輪」とか「環」の意味もあったかもしれません。こう考えると、日本人のものの考え方や見方がちょっと見えてきます。つまり終わりとか端っこを嫌うんですね。輪っかにして終わりや端っこがないように「結ぶ」のでしょう。おむすびと言ったり、結びの一番と言ったり。

 「情けは人のためならず」とか「金は天下の廻りもの」とかいう循環を重く考えるのもこの流れでしょうね。ちなみに、「情けは人のためならず」というのは、人のためにならないから情けはかけてはいけない、という意味に誤解されていますが、本来は、情けは他人のためにかけるのではなく廻りまわって自分に返って来るものだ、という意味です。日本人は「わ」をもって生きるために毎日毎日結ぶ、そういう生き方が好きなんでしょうね。理屈では説明できないんでしょう。

 日本人は工夫することが上手な国民です。さまざまな異なったものを結んだり、不便なところを改良するなど工夫して、新しいものを作り出すことが得意です。ぼくはこれを「洗練力」といって、日本人の最も大事にすべき力だと思っています。今からの時代は、アイデア、データや情報といった形のないものに大きな価値が生まれる「無形資産の時代」だといわれています。しかし、そのような時代にあっても、最終的には、思想やアイデアなど形のないものを「形」や「型」に乗せることが必要です。洗練力をもった日本人の力は今まで以上に必要とされることになると思います。洗練力は大企業よりも中小企業に蓄積されています。中小企業の時代が来ました。

文章:杉岡 茂

写真:伊丸 綾