卒近代

 「脱近代」というのは聞いたことがあると思いますが、「卒近代」というのは耳新しいですよね。「近代」と言うのはたとえば、民主主義であるとか市場経済や資本主義だったり科学主義を指すと考えてください。西洋であれば、キリスト教一辺倒だった中世という時代からこのような考え方に変わったのを指して近代を言っております。

 その「近代」が大きな変化を迎えて、「近代」が終わろうとしているというような意味合いですが、「脱近代」と「卒近代」は少しニュアンスが違っているようです。「脱近代」は近代を破るものだと見立てて早く終わりを見たい気持ち、「卒近代」は近代もそれはそれでよかったけれども、もっといい時代になるという期待する気持ち。「近代さんありがとう」的な気持ちですかね。

 民主主義って本当にいい考えだったのか、みんなで決めるというシステムより優秀な誰かが決めた方がいいんじゃないの。資本主義って結局は貧富の差を放置することになるし、もっともっと差が大きくなるとしか考えられよねえ。もっと社会全体を考えた経済システムの方がよくなかったか。この世の全てを科学で説明できるわけじゃないよね。哲学や宗教の助けが絶対必要だよね。

 必要以上に今までのシステムを悪者と考えると「脱近代」と言いたくなるし、今までの考え方ももっといい考え方に至るために必要だったと郷愁を持って考えると「卒近代」と言ってもいいのかな。どちらも前に進むために必要なことならば、気持ちよく「卒近代」でいいのじゃないかなあ。

 間をすっ飛ばして結論を言うと、オーケストラ的な人間関係というのが大事になるんじゃないかと思っています。近代においてはコーポレーションが重視されましたが、これは工業的集団の中で皆が同じような作業を同時に整然とするという発想です。オーケストラは皆が思い思いに動き、それをまとめて統括する手腕が重要になります。たくさんの楽器が参加する方が上質な音楽なります。指揮者は大変ですがね…

文章 杉岡 茂