国家とか社会とか

 もう2年弱の昔になりますが、2020/10/10のブログの最後に「国家」とか「社会」について考えてみることが必要かもしれない、というような無責任なことを言って終わりました。今日はその責任を取りたいと思います。現代に生きるわれわれは、「国家」というと「日本という国」があると当たり前に思っています。国会があったり総理大臣がいたりするので国が存在するように思っていますが、国ってなんだろうとあらためて考えてみると、今の時代はとくに訳が分からなくなります。「国家」という観念そのものが時代遅れなものではないか。今後ずっと日本という国は存在するのだろうか。

 日本という「国家」は、実は明治維新の時にできた国だと考えることもできます。明治以前の江戸の世は、全国にいくつもの藩が存在していて、それぞれが独立した「国家」だったと考えた方が実態にあっているかもしれません。そうすると日本国という「国家」が出来上がってから200年も経っていません。今後も今の日本という国が今のままで続くのだろうか…

 明治以降これまでの「国家」とその舵取りをしてきた政府は、明治維新により成立した「国家」が採用した外来の資本主義というものに沿って、そして国家の発展のために大企業との蜜月時代を謳歌してきました。これまではその「国家」は継続してきましたし、そのやり方に間違いがあったとは決して思いません。しかし今デジタルの時代を迎えて、そのようなやり方は通用しません。この10年で日本が貧乏になったことを見れば明らかなことでしょう。これから「国家」はその姿を変えなければならないか、またはいったん終わらなければならないのではないか。そんなことまで考えてしまいます。

 「国家」というものと似たようなものに「社会」があります。私たちは当たり前のように「社会」というものがあると思い込んでいますが、よく考えてみると「国家」よりもあいまいな形でわかりにくいですよね。「社会」って誰のことを指すんだろうか。全く実体がありませんよね。さらに、私たち日本人はこの「社会」というものに加えて「世間」というものも相手にしなければなりません。「社会」とか「世間」とか、この国にとってはとても重要でもあり厄介なものでもあるでしょう。

 何となくわれわれ日本人は、「社会」はともかくとして「世間」となると、いつも恐れて暮らしてきたような気がします。「世間」は、個人に対して邪魔はするけど応援をしてくれるものではないでしょう。デジタルの時代を迎えて、この「世間」はもっとやかましくなります。皆さん気をつけましょうね!

文章 杉岡 茂