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第3回 渋沢敬三と宮本常一

 今回ご紹介するのは、佐野眞一「旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三」(文春文庫2009年(文芸春秋2009年))です。前回ご紹介した「渋沢家三代」と同じ作者が、民俗学者の宮本常一とその師匠(支援者)である渋沢敬三の人生を描いています(渋沢敬三について書かれた部分は「渋沢家三代」とかなり重なっています。)。
 宮本常一は、明治の終わりころに山口県の周防大島で生まれました。高等小学校(現在の中学校1・2学年に相当)を卒業後、一年間実家の農業を手伝い、その後、大阪逓信教習所(電報の技術などを学ぶ授業料がかからない学校)→郵便局勤務→師範学校→尋常小学校教師→師範学校専攻科→尋常高等小学校教師を経て、アチック・ミューゼアム(渋沢敬三が自宅敷地内につくった民俗学の博物館兼研究所)に入り、日本全国の農村や漁村を歩いて回り、そこで暮らす人たちの暮しや歴史を学びました。この過程で農業や漁業の知識も身に付けていきます。
 戦後は、全国各地での農業技術指導、離島振興などを行いながら調査研究を続け、博士号を得ます。そして60歳を前に武蔵野美術大学の教授となります。

 宮本常一の人生を追っていくと、本から得られる知識も大切なのはもちろんですが(宮本も、師範学校時代にひと月1万ページを読破することを自らに課したほどの読書家です。)、直接人と会って話をすること、あるいは直接実物を見て触ることによって得られる「一点ものの知識(経験)」がいかに強力かということを考えさせられます。宮本常一のものの見方、考え方については、宮本の自伝「民俗学の旅」(日本図書センター2000年)にも参考になるエピソードが紹介されているので、そのなかから2つほど取り上げてみたいと思います。
①同じ仏像を何度も見る(自分の「基準」をつくる)
 師範学校を卒業して尋常小学校の教師をしていた時代の話ですが、この時期に宮本常一は近くの「釘無堂」というお寺に何十回と参って、そこにある仏像を細部まで観察して心に焼き付けました。そして、他の寺の仏像を観る際には、「釘無堂」の仏像との違いを意識することで、その仏像から多くのことを学び取ったそうです。
あるものから何かを学び取ろうとする場合、漠然と接していても多くは得られませんので、どんな「切り口」から深く入り込んで行くかが重要となります。「似たものと比較をしてみる」というのはそうした「切り口」一つとなりますが、比較するものについての理解が深ければ深いほど、似ているところ/違うところに気づきやすくなり、自ずと得られるもの(引き出せるもの)も増えるのだと思います。
②足半(あしなか)の話(分析の視点/問いの立て方)
 宮本常一は、渋沢敬三と初めて出会った際、敬三から当時研究していた足半(かかとの部分がない短い草履。調べてみたところ、最近は足を鍛える健康グッズとしても使われているようです)について話を聞いています。そこでは、敬三が以下のような視点から研究を進めていることが語られています。
  ・足半をたくさん集めて比較し、違いの理由を考える
  ・地域的な特徴があるか
  ・どんな人が、どんな目的で使っていたか
  ・他の履物とどのような違いがあるのか
  ・他の藁製品にはどんなものがあるか
要するに、対象(この場合は足半)にどれだけいろんな「切り口」から迫っていけるかということですが、
 ・時代
 ・地域(国内/世界)
 ・共通点(使途が同じ、素材が同じ(モノ)、職業が同じ(ヒト)等)
あたりは「切り口」の定番と言えそうです。いずれも一見平凡ではありますが、こうした「切り口」を使って、対象Aから対象Bへ、対象Bから対象Cへ、対象Cから対象Dへ…、というように地道に考える対象の範囲を広げていけば、思っている以上に自分の世界を広げたり深めたりすることができるのではないかと思います。

 この本の中では、渋沢敬三が宮本常一に与えた言葉がいくつか紹介されていますが、その中で印象に残った言葉を最後に引用しておきます。
「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況をみていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落されたもののなかにこそ大切なものがある。それを見つけていくことだ。人の喜びを自分も本当に喜べるようになることだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつけるものも多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまねばならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要を認められないときは黙ってしかも人の気にならないようにそこにいることだ」(P88)
 宮本常一の自伝には、敬三から「争先非吾事 静照在忘求」という書をもらった話が出てきます(P97)。詳しい意味は分かりませんが、これも言わんとするところはほぼ同じであるような気がします。また、こちらも自伝にある話になりますが、宮本は父からもよく「先をいそぐことはない、あとからゆっくりついていけ、それでも人の見のこしたことは多く、やらねばならぬ仕事が一番多い。」と言われていたそうです(P33)。この話もまた、渋沢敬三の言葉と重なるところがあるように思います。

 宮本常一には、渋沢敬三以外にもう一人大きな影響を受けた民俗学者がいます。次回はその人物を取り上げたいと思います。

【この本から入手できる「次の一冊」のヒント】

・水上勉(小説家)
・網野善彦(歴史学者)          宮本常一を評価
・鶴見俊輔(評論家/大衆文化研究者)
・司馬遼太郎(作家)
・柳田国男(民俗学者)…宮本常一に影響を与える
・柳宗悦(民藝)…民俗学者からはあまり評価されず?
・大宅壮一(評論家)…宮本常一が師範学校時代に面会
・岡正雄(民俗学者)…渋沢敬三と柳田国男から影響を受ける
・山口昌男(文化人類学者)…岡正雄から影響を受ける
・岡田桑三(そうぞう)(俳優等)…渋沢敬三の友人
「フロント」(参謀本部の対外宣伝写真雑誌)に関与
・安岡正篤(まさひろ)(思想家)…篤農協会を通じて宮本常一と接触
・開高健「ロビンソンの末裔」…宮本常一が関わった北海道開拓事業に取材
・鬼太鼓(おんでこ)座(ざ)…佐渡で結成された和太鼓集団/宮本常一が結成を支援
      後に分裂し、一部が「鼓童」となる
・川喜田二郎(文化人類学者)…自身の「移動大学」の講師として宮本常一を招く
               独自の情報整理法(KJ法)を考案
・梅棹忠夫(民族学者)…渋沢敬三が収集した民具を承継した国立民族学博物館の初代館長
            独自の情報整理法(京大式カード)を考案
・久野恵一(もやい工藝)…武蔵野美術大学生活文化研究会で宮本常一に師事
・日本観光文化研究所…近畿日本ツーリストが設立した研究所
           宮本常一が関与
・神崎宣(のり)武(たけ)(民族学者)…武蔵野美述大学で宮本常一に師事
            日本観光文化研究所に入所
・松村久…マツノ書店(山口県周南市)主人/宮本常一に絵巻の監修を依頼
・周防猿回しの会(山口県光市)…宮本常一が結成に関与