赤ちゃんがやって来た

 還暦の日を迎える3時間前に初孫を授かりました。ぼくを除く家族は全員、孫を産む娘に「早く出せ」と大号令をかけていましたが、そんな家族の望みどおりぼくの還暦までわずか3時間を残して娘は大役を果たしたのでした。同い年であることを避けることはできませんでしたがね。というわけで、孫もぼくも今0歳です。この初孫は女の子で「日瑚(にこ)」と名付けられ、生まれてから5日後に我が家にやって来ました。

 初めて対面するまではまるで実感というものがなく、「湧き上がるよろこびがなかったらどうしよう、娘や娘婿に悪いなあ」なんて思いもしてましたが、なんてことはない、顔を見た途端に世間のおじいたんと同じバカみたいにジジ馬鹿です。娘夫婦に感謝です。今も我が家のキッチンの流しで日瑚の沐浴をしています。「あらウンチしてるよ」とか言う声が聞こえてます。キッチンにウンチなどというとんでもない事態が、なぜか見過ごされているのです。

 バンビは生まれてほどなく立ち上がったりごはんを食べたりしますが、人間の赤ちゃんはほとんど何もできません。この何もできないということが、とっても大事な赤ちゃんのお仕事なのかもしれません。何も言えないし誰かの手を借りなければお乳はもちろんミルクさえ飲めません。大人だとこれほど窮屈な修行はないでしょう。これほどの修行を赤ちゃんは難なくやってのけるのはすごいなあと思ったりもしています。そして、何も言わないし何もできない日瑚への巡回がぼくの仕事です。赤ちゃんってすごいですよね。

 自分の子が生まれた時のことを思い出しますが、やっぱり孫の場合はどこか他人事で、他人事だからかわいいというのが正直なところかもしれません。息子や娘が生まれたときとは違って、「赤ちゃんがやって来た」という感覚は「サンタクロースが我が家にやって来た」というのと近いような気がしています。なんかわかりませんが、いいことだらけという感覚なのです。そんな孫もこれから成長するにしたがって生意気なことを言い、面倒を引き起こすこともあるでしょう。でも、「これでいいのだ」と思えばことは収まり、その上を人間は生きて行くのです。

文章 杉岡 茂