文化と文明

 世の中の変化が想像以上に激しくて早い。そのことを感じるたびに、いつも思い出すのが「文化と文明」ということ。それに加えて最近ぼくの頭のなかでは、「ルールとツール」の考え方が「文化と文明」の味付け調味料として加わってきました。そもそも「文化」と「文明」は同じような意味で混同されやすい言葉ですが、これはきっちりはっきりさせておかなければなりません。とくに今のような変化が激しく混乱した時代には、今後の時代を読み間違えないようにするために大事なことだと思います。

 誤解をおそれずに言うならば、「文化」は守るべきものつまり変えてはいけないもの、「文明」は進化させるべきものつまり変えなければならないもの、という区別でイメージするのがわかりやすいかと思います。「文化」は事実、「文明」は理屈。「文化」は目的、「文明」は手段。「文化」は思想、「文明」は技術。人それぞれイメージの持ち方はいろいろでいいのですが、きっちり区別しておくと今後この世の中を泳ぐのに迷いが少ないのではないかと思います。

 とくにビジネスの領域における変化は、人が追いつけないほどの範囲とスピードでわれわれに襲いかかってきます。DXひとつにしても、その概要を頭の中で描くのがそもそも難しいと思います。この根底にはジェネラリストとスペシャリストの世の中の違いがあります。大航海時代を経て産業革命以降、世界は西洋化するとともに科学の進歩がめざましく、人々はそれに目を奪われてその結果スペシャリストが大活躍する世の中になりました。今の時代の「文明」の主体はこの「科学」なんでしょうね。

 本来「科学」はその名のとおり「分ける学問」です。「科」は分けることを意味します。日本も明治維新に浮かれて開国しましたが、西洋に対して開国したのです。そして、科学の考え方が怒涛の勢いで流入して、この国を覆い尽してしまいました。無理やり「分ける」より自然と「分かる」でいいのではないかと思ったりしています。スペシャリストの時代で本当にいいのか?ということを問うてみるべき時ではないかとも思ったりしています。

文章 杉岡 茂

写真 伊丸 綾