Crazy Little Thing Called Life

唐突ではありますが、今年7月に、皆さんのご迷惑もかえりみずに、また我がロックグループHELPのライブを敢行する予定にしておりましたが、僕の仕事の都合でできなくなりました。今年は、HELPの中心メンバーである、僕を含む高校の同級生が、生まれてから半世紀を迎えた記念すべき年で、是非やりたかったのですが、自分自身残念でもあり、また、メンバーのみんなには申し訳ないと思っております。ゴメン!

 

さて、「人生、このヘンテコリンで不可解なもの」今回の題名は、僕の大好きなフレディー・マーキュリーの曲名をもじってつけました。本当は、Crazy Little Thing Called Love(愛、このヘンテコリンで不可解なもの)という曲名です。フレディー・マーキュリーというのは、QUEENというイギリスのロックグループのボーカリストです。僕は、フレディーに魅入られて、それ以来、ロックの世界に深入りすることになり、果ては、HELPにボーカルとして参加することになったというわけです。20世紀最高のロックといわれる「ボヘミアンラプソディー」をはじめ多くのヒット曲を世に出したQUEENの、そしてそのボーカリストであるフレディーのことは、また書く機会があると思います。フレディーの数奇な人生については、是非皆さんにご紹介したいと思っています。

 

前置きが長~くなりましたが、「人生」と一口に言いますが、よく考えてみると、これほど不可解なものもありません。というのは、人生の始まりも、人生の終わりも、ほとんどの場合、自分の意思で始めたり終えたりするものではないのに、人は自分の人生は自分のものだと思っている、そのことが、僕にとっては、まず不可解なのです。そして、もう少し突っ込んで考えると、その人生を生きる我々自身も、その体は人が作ったものではなく、自然の産物です。さらに、驚くべきことに、人間の意思で動いている部分は少ないということです。特に生命を維持しているパーツは、ほとんど人の意思とは無関係に「自然に」動いているということです。「自然が動かしている」といってもいいかもしれません。腕や足は、自分の意思によって動かしているようですが、心臓にしても、肝臓にしても、血管にしても、人の意思とは無関係に動いています。にもかかわらず、私たちは、自分の体を自分の所有物だと認識しているのです。不思議だと思いませんか?不可解だと思いませんか?こう考えると、自分の臓器を他人に提供したりすることは、その人の自由だと考えられていることに、少し戸惑いを感じたりしている今日この頃です。

 

それでは、こんな人生というヘンテコリンで不可解なものをどう考えて生きればいいのか。人として生まれた以上、その意思をもって、人としてよりよく生きるための多少の努力は必要だとは思いますが、人の世も、当たり前のことですが、やっぱり自然の中のものです。その自然、もっと言えば、宇宙の中の人間である自分ということを思うときには、「自分の人生、生まれたから、死ぬまでは生きて、そして必ず死ぬ」ぐらいに考えておけばいいんじゃないかと思っています。生きることの意味や意義をあまり深くまじめに考えすぎると、大事なことを見失うような気がします。

 

そう考えると、経営理念を考える時も、このことを頭に置いて、身に覚えのあることを掲げたほうがいいんでしょうね。