良心

 「良心」ということほど世の中で誤解されているものはないような気がします。この誤解がこのまま続くと、この国は悲惨な世の中になってしまうのではないかと恐れています。一番の誤解は、教育によってとくに今の学校教育の中で「良心」を育むことができるという思いこみでしょう。「良心」は誰かに言われて手に入れるものではありません。ただ、自分の身の回りでいろんなことが起きる中で自分を省みたり、今後の自分の生き方を考えることによってしか手に入れることはできません。本当の意味での「良心」は後悔によってのみ身につくものです。そして「ノブレスオブリージュ」の正体はこの意味での「良心」だと思います。

 自分の人生を生きるためには、自分のルールで生きるしかありません。そして、自分の人生を生きるためにはこの「良心」はなくてはならないものです。そして、誰かに「良心」を教えたり強制することはできません。自分の自覚、おのれが覚ることでしか手に入れることはできないのです。純粋な意味で自分のルールで生きることでしか手に入りません。他人のルールで他人の人生を生きていることでは手に入れることはできません。しかし、現代は他人ルールつまり規範といわれるものがあふれています。

 ①  明文の規則   法律や校則

 ②  不文律     道徳 倫理

 ③  不明確なルール 社会通念 正義や常識 村八分などの掟 SNS

 とくに近時③が幅をきかせてきています。なんのことやらわけのわからない他人ルールがあふれてきていますね、この国には…

 自分ルールで生きるとは、一言とでいうと自由に生きるということです。自由とは自らに由ることです。つまり自分の好き嫌いに従って生きることです。ただ、他人に迷惑をかけちゃいけないという唯一のルールはありますがね。明治の巨人福澤諭吉は「自由とわがままの境は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり」と見破っています。そう生き方のなかで「ああ、失敗した」と後悔したときに、「良心」が芽生えて人間は成長します。他人ルールで生きて失敗したと言われることを恐れる人生に、自分の人生はありません。

 ある人を身体的にあるいは心理的に拘束したところで、人間の成長なんかありません。人間の成長にとって、絶対に侵されてはならないあるいは侵せないものが良心です。誰にもわかってもらえなくてもいいのです。自分だけがその成長をわかればいいのです。他人に嘘をつくことは簡単にできますが、自分に嘘をつくことは後々までなかなかしんどいですよね。これがいちばんツライ…

文章 杉岡 茂

写真 伊丸 綾