私塾 鳳徳館

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【通山】第4回 柳田国男と今和次郎、そして考現学

「柳田国男と混和次郎」
畑中章宏(平凡社新書2011年)

 前回は、民俗学者の宮本常一の人生を追いかけてみました。宮本常一の学問(さらに言えば人生そのもの)に大きな影響を与えた人物として渋沢敬三が挙げられますが、もう一人重要な人物を挙げることができます。柳田国男です。
 今回ご紹介するのは、畑中章宏「柳田国男と今和次郎」(平凡社新書2011年)です。タイトルそのままに柳田国男(こん)和次郎(わじろう)という二人の民俗学研究者について書かれた本です。

 民俗学は、民間伝承や風俗などを通じて庶民の生活史を明らかにする学問であり、柳田国男は、南方熊楠(みなかたくまぐす)折口(おりくち)信夫(しのぶ)らとともにこの分野の著名な学者として高校の日本史でも取り上げられていると思います。代表的な著作としては、岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集「遠野物語」があります。意外にも若い頃は詩人を志しており、森鴎外田山花袋国木田独歩(山口県育ち)らとも交流があったようです。
 一方、今和次郎は、学校の勉強レベルだとあまり取り上げられることがないのではないかと思います(その意味では、渋沢敬三や宮本常一も同じような扱いではないかと思います。)。今和次郎は東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)で建築を学びました(この頃、東京音楽学校に在籍していた山田耕筰とも交流があったそうです。)。卒業後は早稲田大学の助手となり、その頃に柳田国男や新渡戸稲造が中心となる地方の歴史文化の研究会(郷土会)に参加し、柳田国男に師事するようになります。今和次郎は民家(建物)を通じて人の生活について考えるというスタンスを採っていました。

 今和次郎の代名詞ともいえるキーワードに「考現学」があります。この考現学の誕生には、関東大震災(1923年)が関係しています。関東大震災の後、今和次郎は復興のために建てられた仮の建物(バラック)を装飾する活動を始めます。その活動の過程で今和次郎たちは、「新しくつくられていく東京はどういう歩み方をするものかを継続的に記録する仕事」をしてみたいと考えるようになり、現在の風俗(人の行動、住居、衣服等)を調査・観察するようになります。そして、こうした調査・観察が後に「考現学」と名付けられます。

 今回も、本の中で印象に残った今和次郎の言葉を最後に引用しておきます。 「少年少女諸君! 諸君の同胞ははなれた土地々々で、実に色々な生活を毎日送っている。諸君は大人になってから、同じく大人になっているそれらの同胞たちに無関心でいたり、また勿論いじめたりしてくれてはならない。辺鄙な地へ遊びに行けた機会には、それらを研究し、観察し、少なくとも友達になっておってください。」(P158)

 今和次郎が生み出した「考現学」のエッセンスは後世に承継されていきます。次回はその承継者たちを取り上げてみたいと思います。

【この本から入手できる「次の一冊」のヒント】

・佐々木()(ぜん)(民俗学研究者)…「遠野物語」の口述者
・井上円了(妖怪学)…哲学館(現東洋大学)創設/佐々木喜善が師事
          ※政教社(国粋主義団体)の設立者の一人
・宮沢賢治(童話作家)…佐々木喜善と交流/「農民芸術概論要綱」
・内田()(あん)(翻訳家/評論家)…柳田、今らとともに民家研究に参加
・吉田謙吉(舞台美術家)…今和次郎と並ぶ考現学の中心人物
・嶋中雄作(中央公論社)…「婦人公論」に考現学の発表をする機会を与える
・川端康成(作家)…今和次郎の考現学の著作の書評を書く
・羽仁もと子(婦人之友社)…今和次郎に「セツルメント友の家」の設計を依頼
・服部()(そう)(歴史学者)…今に「東京帝国大学セツルメント」の設計を依頼
            花王石鹸→鎌倉アカデミア
・セツルメント運動…貧困地域に定住しながら福祉事業・社会教育運動を行う
・片山潜(労働運動家)…日本初のセツルメント(キングスレー館)を設立