ウエルビーイングという言葉を、一度疑ってみた
最近「ウエルビーイング」という言葉を、あちこちで聞くようになりました。研修でも、求人票でも、経営者同士の集まりでも。ぼくはカタカナ語が流行りだすと、ちょっと身構えることにしています。何かを隠しているんじゃないか、そんな感じがしてしまうからです。
カタカナ語が流行ったら、まず疑う
「クレジットカード」も「ローン」も、なんとなくハイカラでハイソな響きがあります。でも日本語にすれば、ただの「借金」です。カタカナにした瞬間、中身は何も変わっていないのに、印象だけが軽くなる。単なる錯覚です。
これ、経営の現場でもよくある話だと思うんです。「アジャイル」と言えば聞こえはいいけど、実態は行き当たりばったりだったりする。「イノベーション」と言えば立派だけど、単なる思いつきの域を出ないこともある。カタカナ語には、中身を素通りさせてしまう力があるんじゃないかと、ぼくは疑っています。
だからこういう言葉が流行りだしたら、いっぺん自分の頭で日本語に訳してみることにしています。東洋の古典を読んできた後遺症かもしれません。言葉の姿かたちに惑わされず、中身を見る癖がついてしまいました。

直訳すると、ただの「幸せ」だった
「ウエルビーイング」を直訳すると「よく在ること」「よく生きること」です。これ、たぶん「幸せ」のことですよね。
「幸せ」で済む話を、なぜわざわざカタカナに言い換えるのか。どこかの誰かの意図を感じなくもないですが、そこは置いておきます。むしろ気になるのは、なぜ今この時期にこの言葉が語られ出したか、です。
今という時代は、人類史上はじめて、人が自由にものを考え自由に行動できる時代になりました。宗教や政治の縛りもなければ、親や先生、上司の言うことを絶対に聞かなきゃいけない時代でもありません。縛るものが多かった時代には、幸せの形もある程度決まっていたはずです。縛りがなくなった今、自分で自分の幸せを決めなきゃいけなくなった。それがしんどいから、いったんカタカナの新しい言葉を借りて、仕切り直したくなったのかもしれません。
コーペレーションからオーケストレーションへ
「自分らしく生きていいよ」ということが、「ウエルビーイング」の正体なんじゃないかと、ぼくは思っています。
そして、違う人たちが集まって、オーケストラを組めばいい。これまでみたいに、みんなで同じ作業を一緒にやる「コーペレーション」じゃなくて、それぞれ違う動きから心地よい一つの調べを生み出す。それが「ウエルビーイング」の実態なんじゃないかと、勝手に思ったりしています。
例えば、営業が得意な人と、数字にうるさい人と、黙々と手を動かすのが好きな人が、同じチームにいるとします。全員に同じ動き方を求めたら、誰か一人は必ず苦しくなる。でも役割を分けて、それぞれの得意なところで音を出してもらえば、合わさったときにひとつの調べになる。指揮者に必要なのは、全員を同じ楽器にすることじゃなくて、違う楽器のまま鳴らし合わせることだと思うんです。
コーペレーションからオーケストレーションへ。この言い方、我ながら気に入っています。
一人でも欠けたら、自分はいない
親は二人です。でも十代前までさかのぼると、ご先祖さんは1000人以上になります。二十代前まで戻ると、100万人以上です。その中のたった一人でも欠けていたら、今のあなたはここにいません。
この話、正直ちょっとゾッとします。自分がここにいることは、当たり前でもなんでもなくて、奇跡の掛け算みたいなものです。
社員さんも同じです。その人が、今その会社で働いているのも、いろんな偶然の積み重ねです。その偶然に、経営者がどれだけ気づけているか。ぼくはそこが「ウエルビーイング」の入り口な気がしています。
自社に置き換えると
自分の会社は、コーペレーションで回っていますか。それとも、オーケストレーションになっていますか。全員に同じやり方、同じ動き方を求めていないか、一度振り返ってみてほしいんです。得意な音を鳴らせる場所が、それぞれの社員にちゃんとあるかどうか。指揮台に立っているつもりで、実は全員を同じ楽器に変えようとしていないか。そのあたり、正直どうでしょうか。
ウエルビーイングって言葉、ぼくは正直まだ半信半疑です。でも「幸せ」をカタカナに逃がさずに、自分の言葉で定義し直してみる。それだけでも、経営者としてやる価値はある気がしています。
・文 杉岡茂(初出:逍雲夜話 2023年10月「ウエルビーイング」を再編集)
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