見ない方が、頭は動く
先月、10年続けた地元のおっさんバンド「HELP」を卒業しました。タバコをやめた人みたいに、今でも時々ムズムズします。でも一歩引いてみると、バンドの中にいたときは見えなかったものが、いろいろ見えてきました。
地元のおっさんバンドを卒業して
10年間、好きにやらせてくれた同級生や仲間には感謝しかありません。バンドっていいなあ、と今も思います。何がいいかというと、競争がないんです。会社にいると否応なく誰かと比べられますが、バンドの練習場に競合はいません。
それぞれが一人で練習して、本番でみんなと音を合わせる。緊張して頭が真っ白になる。それでもごくたまに「今のよかったねえ」という瞬間が来ます。その一瞬のグルーブ感を求めて、バンドは何年も続くんだと思います。ぼくのバンド時代は、だいたいそんな感じで充実していました。

その後、HELPの同級生メンバー3人が、地元FM「しゅうなんFM」の60分トーク番組に呼ばれました。ぼくも聴いてみたんですが、これがおもしろい。そして驚いたのが、思っていたよりずっと多くの人が聴いているということでした。
まさかこんなに聴かれているとは
地元の情報が聴けるという地元FMの強みもあるんでしょう。でも、それだけじゃない気がしています。正直に言うと、ぼくは「ラジオを聴く」という行為そのものを、すっかり忘れていました。みんな、ちゃんと聴いてるんだなあ、と。
例えば、車で移動している時間だとします。テレビは見られません。でもラジオなら、しゃべりを聴きながら景色を見て、頭の中で勝手に映像を作ることができます。音だけしかないから、残りは自分の頭で埋めるしかない。そのすき間が、案外心地いいんだと思います。
テレビと違って、見なくていいという気軽さがあるのは間違いありません。でも、それだけでこの聴かれ方の説明がつくのか。ぼくはちょっと違う気がしています。
映像に奪われているもの
はっきりとは言えませんが、映像によって、ぼくらの想像力や創造力が奪われているんじゃないか、という感覚があります。テレビや動画は、全部を見せてくれます。表情も、景色も、間の取り方も。だから見る側は、何も想像しなくていい。楽なんです。でも楽な分、使わない筋肉は落ちていきます。
ラジオは違います。声だけ聴いて、あとは自分で埋める。想像力は、使わないと衰える力です。これはAIやデジタルと人間が張り合っていく上で、一番手放しちゃいけない力だとぼくは思っています。
映像の強いインパクトは、受動性や無気力、思考の停止を連れてきます。考えなくても、勝手に流れてくる。そうなると、いつのまにか誰かに、あるいは何かに操られることになる。自分の頭で考えられなくなったら、それはもう人間じゃないでしょう。ぼくらは、家畜に成り下がってはいけないと思うんです。
ラジオの復権とか、ラジオの時代の再来なんて言うと大げさかもしれません。でも、今の人類には案外必要なことかもしれない。HELPでもよくやったQUEENの曲に「Radio Ga Ga」があります。あの時代にこの感覚を持っていたフレディ・マーキュリーは、やっぱりすごい人だったんだなと思います。
自社に置き換えると
会社で「考える」という仕事は、今どれくらい残っているでしょうか。会議の資料も、提案書も、誰かが分かりやすくまとめてくれたものを見るだけで済んでしまう場面が増えていないでしょうか。
部下に仕事を頼むとき、答えまで全部渡してしまっていないでしょうか。それとも、あえて余白を残して、本人に埋めさせているでしょうか。楽をさせることと、考える力を育てることは、案外別のことです。
自分自身、この一週間で「じっくり考えた」と言える時間がどれくらいあったか。振り返ってみる価値はあると思います。
バンドを辞めて、ラジオを聴いて、思ったのはそんなことでした。音だけの番組に、思った以上に人が集まっていた。それはたぶん、みんなまだ自分の頭で何かを想像したがっているということなんだと思います。ぼくらの会社も、その余白を残しておきたいものです。
・文 杉岡茂(初出:逍雲夜話 2022年8月「Radio GaGa」を再編集)
あわせて読みたい
- 「それが常識でしょ」と言い切る前に2026-09-28
- 「国家」も「社会」も、実はよくわかっていない2026-09-27
- 「休み」って、そもそも何のためにあるんだろう2026-09-26