「世間」が怖くなった時代に、経営者が考えておきたいこと
「世間」って言葉、最近また怖くなった気がします。コロナのころ、地方でこの言葉の重みを思い知った経営者は多いはずです。スマホのせいで、世間はもう家の中まで入ってくるようになりました。
「社会」と「世間」、顔の見え方がぜんぜん違う
明治の時代、外国からどっと言葉が入ってきました。Societyを「社会」と訳したのは福澤諭吉だそうです。でも、ぼくはこの国に昔からあった「世間」を使った方がよかったんじゃないかと思っています。「社会」はのっぺらぼうで顔が見えません。「世間」は顔が見える。そこがいちばんの違いです。
万葉集に山上憶良のこんな歌があります。「世間(よのなか)を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」。「憂し」はゆううつ、「やさし」は身も細るほどつらい、という意味の古語です。世の中はつらいことが多いけど、鳥じゃないから逃げて飛び立つこともできない、というくらいの歌です。千年以上前から、世間は楽しい場所じゃなかったみたいです。
なぜ「世間」の方が怖いのか。考えてみると単純で、距離がゼロだからです。「社会」というぼんやりした塊には、こっちの顔を覚えている人がいません。でも「世間」は近所の人も、取引先も、常連さんも、全部顔がある。小さな会社をやっていると、この「顔がある」感覚、嫌というほど分かります。

スマホが世間を家の中まで連れてきた
コロナの大騒ぎの中で、この「世間」がとても怖い存在になったと思います。地方にいるとほんとに世間は怖い。たぶんスマホの普及で、「顔の見える範囲」がぐんと広がったんでしょう。のっぺらぼうの「社会」には、身の危険を感じるほどの威力はありませんでした。でも「世間」という力は、スマホに乗って家族や学校や職場の防衛線をあっさり越えて、ある個人に襲いかかってきます。
例えば、お客さんから投稿された星ひとつのレビューが、一晩で何百人の目に触れるとします。昨日まで知らなかった人たちが、急に自分の店の評判を決める「世間」になる。防波堤になってくれるはずの会社の看板も、スマホの中では意外と薄い壁です。
ここで経営者が試されるのは、たぶん覚悟の持ち方です。世間の声がゼロ距離で届く時代に、自分の会社はその声をどう受け止める仕組みを持っているか。そこを考えないまま走っていると、ある日いきなり直撃を食らいます。
ポピュリズムとデモクラシーの境目ってどこだろう
こういう時代背景の中で、「ポピュリズム」つまり大衆主義と、「デモクラシー」民主主義の違いって何だろう、とよく考えます。私と世間や社会の間に、何か一定のシステムやルールがある、それが「デモクラシー」。私と世間の間に仲立ちがないのが「ポピュリズム」。そんなイメージです。大衆主義では、私と世間が直接向き合ってしまう。しかも反対尋問ができない。自分を守ってくれる防御線がなくなって、世間といきなり直接対決させられるのは、ほんとうに怖いことです。
なぜ仲立ちが無いとこんなに怖いのか。間に手続きやルールがあると、判断までに必ず時間がかかります。時間がかかる分、頭に血が上った状態のまま裁かれることが減ります。逆に仲立ちが無いと、感情がいちばん高ぶった瞬間の空気で、一瞬で白黒が決まってしまう。これが大衆主義のいちばんこわいところだと思います。
例えば、社内でトラブルが起きたとします。本人の言い分を聞かずに、空気や噂だけで「あいつが悪い」と決めてしまう。これ、会社の中の小さなポピュリズムです。ルールや手順という仲立ちを飛ばして、多数の空気が一人を裁いてしまう。規模は違っても、構造はまったく同じです。
聞かずに裁くのは、この国のやり方じゃない
故・田中角栄氏のロッキード裁判では、反対尋問権が認められないまま有罪が確定しました。当時、これは大きな議論を呼びました。言い分を聞かずに処罰や処分を下すというのは、人の世であってはならないことだと思います。西洋の考え方と違って、この国では人の行いを白と黒にバッサリ分けません。当人の言い分を聞かずに白黒を切ってしまうのは、この国のやり方じゃないはずです。
これ、会社経営にもそのまま当てはまる話だと思います。例えば、取引先からクレームの電話が一本入っただけで、現場に確認もせず担当者を外してしまうとします。一時的にはクレームは収まるかもしれません。ただ、外された担当者も、周りの社員も、その会社のことを少しずつ信用しなくなります。聞かずに裁く文化は、一度始まると社内のあちこちに広がっていきます。
ワイドショー的な風潮がまさにこれで、本人のコメントを待たずに論評が始まり、視聴者はそれを浴びるように受け取ります。会社の中でも同じことが起きます。本人が出社する前に、もう結論が社内チャットで固まっている。そんな空気、心当たりはありませんか。
自社に置き換えると
ここまで読んで、自分の会社ならどうだろうと思った方もいるはずです。社内でトラブルや苦情が起きたとき、本人の言い分を聞く手順はちゃんと決まっているか、一度振り返ってみてください。その場の空気や多数決だけで処分を決めていないか、心当たりはないでしょうか。
SNSのレビューや口コミひとつで評判が決まってしまう今、世間の声を受け止める窓口や仕組みは、自分の会社のどこにあるか。経営者自身がすぐに答えられるかどうかで、だいぶ違ってきます。
もし自分や自分の会社が名指しで叩かれたとき、ちゃんと事情を聞いてくれる相手は社内や取引先にいるか。考えてみる価値はあると思います。
世間は昔から楽しい場所じゃなかった。山上憶良の時代からそうだったんだから、今さら驚くことでもないのかもしれません。ただ、スマホで距離がゼロになった分、経営者には「聞く仕組み」を自分の会社に用意しておく責任が、以前より重くなった気がします。
・文 杉岡茂(初出:逍雲夜話 2021年12月「ポピュリズム」を再編集)
あわせて読みたい
- 原稿を捨てられる社長は、会社を変えられる2026-10-19
- 新年、未来を読む前にぼくがやっていること2026-10-18
- よその得意技を借りる前に、決めておきたい3つのこと2026-10-16