損得を考えない人に、なぜ人はついていくのか

年末になると、テレビでほぼ必ず忠臣蔵をやります。観たことがなくても、あらすじくらいは知ってる人が多いはず。実はあの話、東洋思想でいう「義」という考え方が、ぎゅっと詰まった物語なんです。今回はそこから少し掘ってみようと思います。

孔子の「仁」、孟子の「義」

東洋思想と一言で言っても、インドや東南アジアも含めれば途方もなく広い。とても一人でカバーできる範囲じゃないので、ここでは中国思想、それも儒教に絞って考えてみます。日本に一番影響を与えたのは、たぶん孔子より孟子だと思っています。

儒教には仁・義・礼・智・信という五つの徳目があります。仁は思いやり、義は無私、礼は譲る心、智は考えること、信は言葉を違えないこと。かなり乱暴にまとめるとこんな感じでしょうか。

孔子はこの中でも仁を大事にしました。明治の資本主義をつくった渋沢栄一が「論語と算盤」を書いて、論語を座右に置いていたのは有名な話です。一方で、幕末から明治維新にかけてこの国を動かした人たちを支えていたのは、論語より孟子だったんじゃないか。そう思うんです。

「あいつバカだよな」に宿るもの

義を一言で言うと無私。自分を勘定に入れない、損得で動かないということです。

例えば、会社を継いだ二代目が、目の前にある儲け話を断って、先代が大事にしてきた古い取引先を守ったとします。周りは「もったいない」「あいつバカだよな」って言うかもしれません。でも心のどこかで、かなわないな、って思う。あの感覚です。

幕末の志士には、この「バカだよな」って人がたくさんいたんだと思います。損得だけで考えたら、絶対にやらないことをやった人たちです。

なぜ損得を超えた人に心が動くのか

ここ、経営の理屈で考えると面白いところです。損得で動く人のことは、信用はしても尊敬はしにくい。損得を超えて動く人のことは、信用も尊敬もする。人間ってそういうふうにできているんだと思います。

会社の中で「この人についていきたい」と思う瞬間って、業績が良かった時よりも、その人が自分の得にならないことをやったのを見た時だったりしませんか。

論語は今も学校で教わりますが、孟子を最後まで読んだ人はごく少数でしょう。それでも年末になれば、忠臣蔵は必ずテレビに出てきます。四十七士の話、ざっくり言えば損得を全部脇に置いて義を貫いた人たちの話です。令和になっても、日本人はこの感覚を捨てていないんだと思います。

仁と義、ふたつの徳目 孔子 仁(思いやり) 渋沢栄一 「論語と算盤」 孟子 義(無私) 幕末の志士たち 忠臣蔵 損得で動くか、損得を超えて動くか

自社に置き換えると

自分の会社の中で、損得抜きで動いている人が誰か、すぐに思い浮かぶでしょうか。その人のことを、業績の数字とは別のものさしでちゃんと評価できているか、一度振り返ってみてください。そして自分自身はどうか。社員は、社長が損得で動く人なのか、そうでない人なのか、案外よく見ています。

義の人は、たぶん本人はそんなつもりで生きていません。ただ自分を勘定に入れずにやっているだけ。それでも周りは覚えていて、何十年経ってもテレビでその話をする。会社もきっと同じで、数字に残らないところで誰かが義を通した記憶が、案外長く生き続けるものなんだと思います。

・文 杉岡茂

中小企業の、味方でいたい

周南の9人の若者が、地元の中小企業の現場に入って一緒に考えます。若者・バカ者・よそ者の会社です。

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(初出:逍雲夜話 2022年12月「東洋思想」を再編集)


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