季節に合わせて生きる。古い知恵が今も使えるわけ

1年間、二十四節気について書き続けた。書けた内容はごく一部で、学び切れなかった方が圧倒的に多い。それくらい東洋思想は深かった。

テーマを絞ると、底が見えてくる

二十四節気に話題が限定されていたことに、途中でちょっと息苦しさを感じました。「今日も節気の話か」という気持ちがよぎる時期がある。でも振り返ると、あの制約があったから底まで掘れた気がします。

テーマを絞ることと、テーマに縛られることは違います。絞ると深まる。ただ、それを実感するには少なくとも半年以上かかります。

経営でも同じことが起きませんか。次から次へと新しい情報を追いかけているうちに、1年が過ぎてしまう。例えば「今年はマーケティングを学ぶ」と決めて3ヶ月で別のテーマに移ったとします。その繰り返しでは、どの分野も中途半端なままです。1年かけて一つを掘る経験が、ここで初めてちゃんとできた気がしています。

12でも52でもなく、24がちょうどいい

二十四節気は1年を24に分けます。12ヶ月の2倍です。月よりも少しだけ細かく自然を観察しようとした、それだけのことなのですが、これが長い歴史の中で使われ続けてきた。

なぜこの粒度が生き残ったか。月次だと変化を見逃しやすい。週次では細かすぎて追いきれない。24という区切りは、人間が自然のリズムを意識し続けるのにちょうどいい間隔だったのだと思います。

もともとは中国大陸で生まれたものなので、日本の季節感とは少しズレがあります。でもそのズレは気になる程度ではなく、季節の移ろい自体はほぼ同じです。大陸から渡ってきた知恵が、日本の風土にも自然と馴染んできた。それ自体、この考え方の普遍性を示しています。

東洋と西洋、根っこにある人間観

東洋思想の一番深いところには「天と自然」があります。人間は自然の一部であって、共に生きるものだという考え方。一方で西洋思想の根底には「個人」や「人間」があります。自然を支配する主体として人間をとらえる発想です。

人間と自然の関係:東洋 vs 西洋 東洋 自然 人間 自然の中に人間がいる(共生) 西洋 人間 支配 自然 人間が自然を支配・管理する

SDGs、ESGという言葉が今は盛んに使われています。地球環境を守ろうという動きです。でも東洋の立場からすると「古来ずっとそう考えてきた。今さら声を上げることでもない」という感覚になる。大きな声を出さなければならなくなったこと自体、何かが長い時間をかけてズレてきた証拠かもしれません。

干支は東洋思想の中心に位置しています。十干と十二支の組み合わせで、十二支は1年12ヶ月とも関係します。そこから二十四節気が生まれている。こうした体系の積み重ねが、東洋思想の骨格を作っています。

自然のリズムに乗るということ

二十四節気の本質をひと言でいうと、「人間は季節に合わせて生きるのがいい」ということです。自然の移ろいを頭に入れておく。自然の動きに合わせる。自然の力を体の中に取り込む。これが健康で幸せな人生につながるという、東洋古来の考え方です。

例えば、真夏に無理な体力仕事を続けさせてスタッフが次々と体調を崩したとします。その損失は数字に出にくいけれど、確実にある。季節のリズムに逆らうとじわじわとコストがかかります。自然に乗るとはその逆で、動くべき時期に動き、休むべき時期に無理をしないということです。

自社に置き換えると

自社の事業に「季節のリズム」がありますか。それをうまく使えているか、それとも逆らって消耗していないか。

自分の仕事の計画を月次だけで切っているなら、もう少し細かく、でも週次より粗い単位で見直してみると何か気づくことがあるかもしれません。繁忙期と閑散期の流れを会社として本当に把握できているか。その流れに合わせた人の動かし方や投資のタイミングを、ちゃんと考えているか。

1年間、二十四節気を書き続けて、東洋思想の奥深さを少しだけのぞいた気がします。学べたのはほんの一部。でもその一部が、経営にも暮らしにも確実につながっていると感じています。季節に乗ること。古くて、今もいちばんシンプルな知恵です。

中小企業の、味方でいたい

周南の9人の若者が、地元の中小企業の現場に入って一緒に考えます。若者・バカ者・よそ者の会社です。

RYDEENについて

・文 杉岡 茂(初出:逍雲夜話 2024年11月「二十四節気」を再編集)

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