一年を24に刻む知恵と、経営のリズム
一年間、二十四節気を書き続けて気づいたことがある。東洋の人たちが何千年もかけて磨いてきた「自然と共に生きる知恵」は、今の商売とも地続きなんじゃないか、ということだ。大げさかもしれないけど、ぼくにはそう見えてしかたなかった。
ちょうどいい粒度で切る
二十四節気とは何か。一年を12ヶ月の2倍、24のコマに分けて観察するものだ。

もっと細かく分けると52週間になる。でもそれでは細かすぎる。12ヶ月では大まかすぎる。24がちょうどいい。古代の人たちは長い時間をかけてそれを見つけ出した。もともとは中国大陸で生まれたものだから季節感に少しズレはあるけれど、季節の移ろいそのものはほぼ同じだ。
経営でも同じ問いがある。例えば、月次でしか業績を見ていない会社があるとします。変化に気づくのが遅れやすい。だからといって毎週の会議をびっしり詰め込むと、今度は考える間がなくなる。ちょうどいい粒度で自社の動きを見る、というのは商売でもずっと続く課題だ。
知恵には時間の重みがある。何千年もかけて「24」にたどり着いたことの意味を、ぼくはもう少し真剣に考えてみたくなった。
東洋と西洋で根っこが違う
東洋思想の根本には「天と自然」がある。人も自然の一部であって、共生が基本の考え方だ。
西洋はちょっと違う。根っこには「人間」や「個人」がある。人間は自然を支配する存在という発想が、どこかに流れている。
どちらが正しいかという話ではない。ただ、自分がどちらの立場で考えているかは、判断に影響する。例えば、市場の流れに乗ろうとするタイプと、自分で流れをつくろうとするタイプでは、同じ局面でもまったく違う手を打つ。どちらもあり、だけど、今の自分がどちらに近いかを知っているかどうかは大きい。知らないまま経営していると、自分がなぜその判断をしたのかがわからなくなる。
SDGsは「今さら」の話だった
SDGsとかESGという言葉が経営の現場でも飛び交うようになって久しい。正直、最初は「また新しいスローガンか」と思った。
でも今回の勉強でわかったのは、これは東洋では古来ずっと考えていたことだということだ。地球と共に生きる、自然を大切にする。数千年前から東洋の知恵の中にあった。取り立てて今さら声を上げることでもない、という感覚が東洋にはあるのだと思う。
老舗の商売人が「従業員を大切に」「地域と共に」と実践してきたのも、同じ根からきていると思う。外から言われたからやるのではなく、もともとそうしてきた。その差は、経営の芯のところに出てくる。
自然の力を取り込む
二十四節気の発想を一言でまとめると「人間は季節に合わせて生きるのがいい」ということになる。自然の移ろいを頭に入れて、食べるものや体の使い方を変えながら一年を過ごす。それが健康で幸せな人生だという古来の考え方だ。
経営でも、流れに乗ることと逆らうことがある。景気が縮んでいるときに無理に拡大すると体力を削る。波が来ているときに判断を先送りし続けると乗り遅れる。自然の力を「取り込む」という感覚、抗うのではなく受けながら使う、という発想は商売の場でも通じると思う。
ぼくはこの一年、二十四節気を書きながら、経営の話だと感じる瞬間が何度もあった。東洋思想の奥には、まだまだ使えるものが眠っている。
自社に置き換えると
自社の業績や動きを振り返るとき、どのくらいの粒度で見ているか。月次で十分か、もう少し細かく見るべき指標が何かないか。
市場や業界の「季節感」のようなものを、自社はちゃんとつかんでいるか。変化の兆しに気づいているか、それとも後から「あのとき流れが変わっていたな」と気づくパターンが続いているか。
SDGsやESGへの取り組みが「外から言われたから」なのか、「もともと自分たちがやってきたことの延長」なのか。この違いは、経営の土台に響いてくる。
一年を24に刻んだ古代の知恵は、難しいことを言っていない。自然の流れをよく見て、それに合わせて生きろ。それだけだ。経営も、案外そういうものかもしれない。
・文 杉岡 茂(初出:逍雲夜話 2024年11月「二十四節気」を再編集)